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1.1992年 コンパックショックの裏舞台

当時IBM PC互換機をつくっていたアメリカ コンパック社のポータブル(写真のとおりこれを持ち運ぶのは至難の技ですが)パソコンはすべて日本で生産していました。
OEM当初の機種
このあとノートPCへと発展
 当時、シチズン時計殿の小型実装技術(世界ではじめて3.5インチFDを作った)に注目したコンパック社がOEM生産を委託、コンパックブランドのラップトップ、ノートPCはすべてシチズン時計殿で生産していました。ご存知のとおり 1992年にコンパック社は80386ののったデスクトップPC(当時NECで40万円以上していた)を198000円で売り出しました。これが有名な「コンパックショック」です。この流れはノート型にも波及するのは時間の問題でした。
 この価格破壊実現のためには越えなければならないハードルが山積していました。
複数の海外調達先からの通貨レートを考慮した最低価格での部品購入、組付部品トレースを含む品質データの確保、DOS/Vでソフト化された各国言語に対応する生産方式 とにかく大変な課題でした。まだインターネットが整備されていない頃私達がアメリカの先進企業に教えられたこととその技術が今日のEDIにどう活かされているかを振り返ります。
2.シチズン時計殿との出会い

当時 当社を設立直後で 汎用機のSEでシステム監査技術者がパソコンで革命を起こすといっている姿が珍しかったようでいろいろなところで公演をさせていただきました。
パネルディスカッションの様子。
 その後、聴講者だったシチズン時計の方からご連絡をいただき、コンパックショックの構想とその要件を伺いまさに震撼しました。それから3年、最初に出会った武田氏が工場からの帰路交通事故で亡くなられるまでコンパック、そしてDEC の世界戦略 EDIとの戦いが続きました。
当時シチズン時計と故武田課長
(雑誌記事から)
3.コンパックの要件

彼らの世界戦略は明確でした「世界の工場を手にとるように管理したい」「データを共有したい」「オーダーから出荷までを人間の手を介さずにネットワークでつなぎたい」これらを「FACTORY SCOPE」と呼んでいました。当時の日本企業は EDIもERPもまだまだ黎明期で、従来の「伝票に手書き」があたりまえの社会でした。「汎用機側は不可能といっているのだし、コンパックがヒューストンの本社ですべての生産をパソコンLANで管理しているのだから日本でもこの方法以外にないでしょう」という当時の常務取締役の一言で私達がこのシステムを任せられることになりました。
当時の手書き伝票の例
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